エンゼル・スタジアムの風~ある少年の幸せな時間【オリジナル短編小説】

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こんにちは、松鷹守です。

2018年6月、当ブログに

「躍動!【二刀流】大谷翔平の向こうに【伝説の本塁打王】ベーブ・ルースを見る」

という記事を載せました。

これはあのベーブ・ルースについてのものなんですが、いろいろ調べつつ書いているうちに、あるちょっとした情景が頭に浮かびました。

私マツタカは小説を書いております。なので本日は、そのときのイメージをオリジナル短編小説にして、お届けします。

短いお話なので、どうぞお付き合い下さい。

なお、上の記事「躍動!【二刀流】大谷翔平の……」を先にお読みになると、いっそう楽しめるかと思います。

それでは、ショート・ストーリーの始まり、始まりぃ!

エンゼル・スタジアムの風~ある少年の幸せな時間

 少年の名はクリス。クリスは2つ違いの兄ジェイク、父親のデニスと3人で、今年初めて野球観戦に訪れた。

 今日は2018年4月28日。

 ロサンゼルス・エンゼルスが本拠地エンゼル・スタジアムにニューヨーク・ヤンキースを迎えての一戦だ。

 クリスは通路から3つめの席を選んだ。左隣にジェイク、その横に父が座る。

 試合開始時、クリスの右側2つの席に観客の姿はなかった。

 1回の表、ヤンキースの1番バッター、アーロン・ヒックスがレフトライナーに倒れる。

 そのとき、ひゅうっと風が吹いた。

 クリスは思わず目をつぶった。ふたたび目を開けると、空いていたはずの席にふたりの男性がいる。

 誰かがやってきて腰を下ろす気配が全然なかったので、少年はちょっと驚いた。

 男の人たちは大柄だった。とくにクリスのすぐ右に座っている人は幅も厚みもあり、座席がいささか窮屈そうに見える。

 でもその人は、シートの座り心地などまるで気にしてないようだった。エンゼルスの先発ピッチャー、アンドリュー・ヒーニーが1球投げるたびに手を叩いたり、「ほう!」と声を上げて身をのけぞらせたり、太い指でどこか遠くを差しながら連れの男性に話しかけたり、とにかく忙しい。

 ヤンキースの初回の攻撃が三者凡退で終わると、その男性はクリスを見下ろした。35歳くらいだろうか。髪は黒く、丸顔で、くりっとした目元が人懐っこそうにほころんでいる。

「やあ、きみはエンゼルスのファンだね」

「うん」クリスはうなずいた。

「その真っ赤な帽子とユニフォーム、とてもよく似合うよ」

「ありがとう」

「きみの着ているユニフォームの背中には、何て書いてあるのかな? 背番号17の上のところ。ええと……〈オータニ〉と読めるね」

「オオタニだよ。ショウヘイ・オオタニ」少年は言った。「日本から来たすごい選手さ。今年からエンゼルスの一員になったんだ。ピッチャーとバッターの両方こなすんだよ。つまり二刀流」

 男の人の目が、さらにまん丸になった。「日本から? 二刀流だって? やれやれ、時代は変わったもんだ。日本人がメジャーでプレーするなんて」

「別に珍しくないよ。アジア系なら韓国人や台湾人だっているもの。日本人だと、オオタニ以外で特に有名なのは、何と言ってもイチロー・スズキだね」

「イチロー・スズキ……その人もエンゼルスの選手かい」

「シアトル・マリナーズさ。44歳なのに、まだ現役なんだ。日本からアメリカへ来たのは27歳だけど、メジャーで3000本以上ヒットを打ってる」

「ふうん」

「イチローは伝説なんだよ。僕は11歳だから、彼の若いときのプレーはテレビやYou Tubeでしか観たことがないけど。脚が速くて、肩が強くて、守備範囲が広い。打っても、走っても、守っても、超一流なんだ。なかでも飛び抜けてすごいのは、2004年に262本のヒットを打ったことだろうね。それまでジョージ・シスラーが持ってた年間最多安打257本を84年ぶりに塗り替えたのさ」

「ほう、あのジョージ・シスラーね」男の人はシートに深くかけ直した。にやにやしながら、連れの男性と視線を交わす。「257本って、たしか1920年のシーズンじゃなかったかな」

 今度はクリスが目を丸くする番だった。「おじさんたち、シスラーのこと知ってるの?」

「ああ、昔会ったことがある」

「ほんと? でもおかしいな。彼は何十年も前に亡くなってるよ」

「あー、エヘン……それは彼がいまにも天に召されようかというときで、こっちはほんの赤ん坊だった。正直言うと、何も覚えちゃいない」

 この人たち、見かけよりずっと歳をとっているのかもしれないな、とクリスは思った。

 1回の裏。エンゼルスの3番バッター、ジャスティン・アップトンがファウルを打ち上げた。激しいスピンのかかったボールが、こっちへ飛んでくる。

「おっと」

 首をすくめ、身をよじったクリスの頭上で、丸顔の男性がその飛球を難なくつかんだ。

 右手一本の、シングルハンド・キャッチ。

 彼は感触を味わうように掌でボールを転がすと、連れの男性に渡した。「うん、いいボールだ。俺たちの頃より硬くて、縫い目もしっかりしてる」

「我々の時代は、ボール交換をあまりしませんでしたしね。使い込んだぶん、皮も縫い目もいくらか緩んでましたよ」

 連れの男性が言った。その人は丸顔の男性とは対照的に、端正な顔立ちをしていた。どこかヨーロッパの貴族みたいな雰囲気がある。

「私の名はジョージ。こちらは友人のL・Gだ」丸顔の人が自分たちを紹介した。「よかったら、きみの名前を教えてくれる?」

「ぼくはクリス」

「ではクリス、このボールをきみにあげよう」

「え、いいの? 捕ったのはおじさんなのに」

「もちろん。キャッチしたのは私だが、こいつはきみ目がけて飛んできた。きみがもらうべきだ」

「ありがとう」

 ぶ厚い手で少年にボールを差し出しながら、ジョージが言った。

「ところでクリス、きみの大好きなショウヘイ・オオタニだがね。どれほどすばらしい選手なのか、教えてくれるかい」

「うん。まずピッチャーとしてのオオタニの成績は、ここまで2勝1敗。球が速くて、スプリットが生き物みたいによく落ちるんだ。2勝目をあげたアスレチックス戦では、7回途中までパーフェクトに抑えた。このまえのアストロズ戦では、163キロを計測したんだよ」

「163キロというのは?」

「ボールのスピードのことさ。メジャーでも、160キロ以上の球を投げるピッチャーは、それほどいない。オオタニは日本で、165キロを出したことがあるらしいよ」

「なるほど。いいピッチャーみたいだな」

「次にバッターとしてのオオタニだけど、打率は3割3分を超えてて、ホームランは3試合連続で3本打ってる。新人で、まだ23歳なのに。とにかく、観ててすごく楽しい。ワクワクするんだ」

「23歳、二刀流。どこかで聞いたような……」

 ジョージが片方の眉を上げ、L・Gの方を見た。

「二刀流といえば」クリスがつづける。「オオタニは今年、ちょうど100年前のベーブ・ルースの記録、『投手で13勝、打者でホームラン11本』を抜くかどうかが話題になってる。ベーブ・ルース以来、メジャーリーグで本格的な二刀流に挑んだ選手はいないんだ。オオタニが出てくるまでは」

 ジョージの黒い瞳の奥が、ちらっと瞬いたように見えた。「ベーブ・ルースね。そう、ベーブ・ルース。彼はたしかに若いとき二刀流をやってた。レッドソックス時代に。クリス、きみはオオタニがルースの『13勝&11本』を破ると思うかい?」

「どうだろう。シーズンはまだ始まったばかりだしね。でも記録を抜いたらすごいだろうな。絶対に興奮するよ」

「ベーブ・ルースは全部で714本のホームランを打ったんだ」

「知ってる。そんなの常識だもん」

「では、投手としての通算勝利数は?」

「うーん、わからない」クリスは首をふった。

「94勝。もう少しで100勝に届くところだった」

「ふうん。おじさん、よく知ってるね」

「昔のことは詳しいんだ。最近のことはからきしだけど」

 ジョージは明るく笑い、大きな体をゆすった。

 2回の裏。0対0のまま、5番・DHの大谷翔平に打順が回ってきた。

 スタンドから、ひときわ大きな拍手が起こる。

 L・Gが言った。「大した人気だな。身長はあるが、体がちょっと細いんじゃないか。パワーの方はどうなんだろう」

「観客がいっせいに取り出したあの四角いものは何だ? 本か手帳のように見えるが。みな手を伸ばして、オオタニの方に向けている」

 ジョージの問いかけに、クリスはぽかんと口を開けた。

「おじさん、いったいどこの国から来たの? スマートフォンでしょ。写真や動画を撮ってるんだ」

 バチンという音が響き渡った。ヤンキースの先発、ルイス・セベリーノの3球目を、大谷のバットが捉えたのだ。腕を少したたんで、インコースの球を弾き返す。

 ボールはあっという間にライトスタンドに突き刺さった。

 4万人を超す観客が総立ちになる。拍手と歓声があふれ、エンゼル・スタジアムが何倍にも膨れ上がったかのようだ。

 センター後方に設置された岩のオブジェから炎の柱が噴き出し、打ち上げ花火が宙を舞う。

「やった!」

「オオタニ! オオタニ!」

「なんてこと!」

「オオタニサーン!」

 人々が口々に叫ぶ。

「ワーォ!」

 クリスも大喜びで立ち上がった。今年初めて観に来た試合の第一打席で、さっそくホームランを打ってくれるなんて。

 マイク・トラウトのユニフォームを着た兄ジェイク、アルバート・プホルスのユニフォームを着た父デニスとハイタッチする。

「クリス、そのボールはどうした?」

 デニスが息子の手にあるものに気づいた。

「ファウルボールさ。さっき飛んで来たやつ。隣のおじさんたちにもらったんだ」

 父と兄が身を乗り出し、クリスの右側をのぞきこむ。

「ファウルボール? 隣のおじさんたち?」ジェイクが訊いた。

「この人たちだよ」

 クリスはジョージとL・Gの方を振り返った。しかし2つのシートには誰もいない。

「そこは最初からずっと空席だろ」とジェイク。

「そいつをちょっと見せてごらん」

 父に言われ、クリスはボールを渡した。

「このボール、やけに古臭いな。茶色く変色して、あちこち擦り切れてる。野球博物館の展示品みたいだ。おや、サインが書いてあるぞ」

 デニスはボールに目を寄せ、文字を読み上げた。

「『クリスへ/ジョージ・ベーブ・ルース/ルー・ゲーリッグ』おいおまえ、これっていったい……」

 クリスはもう一度、無人の座席を見つめた。

 そのときまた、スタンドを風がひゅうっと駆け抜けた。

「ショウヘイ・オオタニ。なかなかやるじゃないか」

 L・Gことルー・ゲーリッグと肩を並べてスタジアムの通路を歩きながら、ジョージことベーブ・ルースが言った。

「日本人にもいいのがいるな」

「1934年に」とゲーリッグ。「我々アメリカ選抜チームが日本遠征をしたときのことを覚えてます? 若くて素晴らしいピッチャーがいたでしょう」

 ルースがうなずいた。「あのワンダー・ボーイか。名前はたしかエイジ・サワムラといったな。球がめっぽう速くて、カーブも一級品だった。まだ17歳だったらしいぞ。ルー、おまえさんのソロホームランがなかったら、こっちは0点に抑えられていただろうよ」

「ベーブ、次はさっきクリスが言ってたイチロー・スズキという日本人選手を観に行きませんか? 2004年にジョージ・シスラーの年間最多安打を抜いたときの試合を」

「そりゃいい。せっかくだからシスラーも連れて行こう。自分の記録が破られるのを目にしたら、やっこさん、どんな顔をするんだか」

 ふたりは売店の前にやってきた。赤塗りの壁に〈ザ・グランド・スタンド〉と書いてある。

「あっちの世界へシスラーを迎えにいく前に、いつものやつだ」

 ゲーリッグがにっこり笑った。「ホットドッグとビールですね。買ってきます」

「ああ。ボールパークに来たら、そいつを忘れちゃいかん」

 ゲーリッグがいい匂いのする売店へ歩み寄る。ルースは振り向いて、エンゼル・スタジアムの鮮やかな緑のフィールドをしみじみ眺めた。

 スタンドのざわめきがつづいている。

 大谷翔平の放ったホームランの余韻が、まだそこにはあった。

〈終わり〉


松鷹守のショート・ストーリー、いかがでしたか?

〈ゆるやかな惑星〉でまたお会いしましょう!

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