【葛飾北斎(Katsushika Hokusai)】〃グレート・ウエーブ〃も〃ホクサイ・スケッチ〃も有名だけど、何がスゴいって90歳まで生きたことじゃないでしょうか!

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「冨嶽三十六景 甲州石班澤(ふがくさんじゅうろっけい こうしゅうかじかざわ)」

こんにちは、松鷹守です。

けっこう前の話ですが、昨年(2019年)の夏、東京都墨田区にある〈すみだ北斎美術館〉に行ってきました。

浮世絵界の巨人・飾北斎かつしか ほくさい)の作品をじっくり鑑賞するためです。

私マツタカ、北斎については歴史の教科書レベルのことしか知りませんでした。「ああ、あの富士山と波の絵を描いた人ね」という程度の認識。もちろん有名な浮世絵師であることはわかっているものの、これまできちんと向き合うことがなかったんです。

でも2017年でしたか、イギリスの大英博物館で「北斎展(Hokusai:Beyond the Great Wave)」をやったでしょう? あと同じ年にNHKの〈ヒストリア〉で「世界が驚いた3つのグレートウエーブ 葛飾北斎」というのもやってました(イッセー尾形が北斎を演じたやつ)。

そんなふうに、2017年は「北斎」の名を目にすることがたびたびあり、私もだんだん興味が湧いてきました。

「そろそろちゃんと観るか」という気持ちになっていたところ、〈すみだ北斎美術館〉があるのを知りまして。

結局それから、ずるずると2年経ってしまいました。

だけど美術館に行って気づいたんですが、2019年はちょうど〃葛飾北斎・没後170年〃なんですね。北斎が亡くなったのは1849年ですから。

「おっと。切りのいい年でラッキー」って思いましたよ。

■墨田区はなかなかイイ

JR両国駅から7~8分歩くと、〈すみだ北斎美術館〉が見えてきました。

地上4階・地下1階のわりとコンパクトな建物。直方体にくさび型の切れ目を入れた外観の、文字みたいな、何かの記号みたいな近未来風の造り。

外壁はぴかぴかのアルミパネル。オープンしてまだ3年なので奇麗です。

「北斎」の名前を入れるくらいなのだから、古風で江戸時代的なデザインを想像していたのですが、そうではないのですね。

美術館の前はこじんまりした公園があり、〈斎通り〉があり、目を上げると家々の屋根の向こうに東京一のランドマーク、東京スカイツリーが巨大な鉛筆みたいにどおーんとそびえています。

スカイツリーに限らず、墨田区って興味をそそられる場所がいろいろありますよね。ここ両国だけでも、駅すぐ近くに〈両国国技〉があり〈江戸東京博物館〉があり、〈旧安田庭園〉や〈刀剣博物館〉、あの「忠臣蔵」で有名な良上野(きらこうずけのすけ)の屋敷だった場所(「吉良邸跡」)なんかもあります。

国技館の周辺とくれば、相撲部屋ちゃんこ屋も当然、多いですし。

両国駅に隣接する商業施設〈-両国-江戸NOREN〉は寿司・天ぷら・ちゃんこなどの飲食店、観光案内所、土産物コーナーのほか、吹き抜け空間の中央に本物と同じ土俵があって、楽しめますよ。

(残念ながら、土俵に上がることはできませんけど)。

■まずは北斎の一生をざっと。雅号の変更30回、長生きしました90歳……なんて人だ!

葛飾北斎は1760年9月武蔵野国葛飾郡本所割下水(むさしのくに かつしかぐん ほんじょわりげすい。※現在の東京都墨田区)に生まれました。

幼名は時太郎(ときたろう)、のちに鉄蔵(てつぞう)。父親は川村氏で、5歳のとき中島氏の養子になります。

子供の頃から絵を描くのが好きでしたが、10代になって貸本屋や木版彫刻師のもとで働いたのち、19歳で人気浮世絵師・川春章(かつかわ しゅんしょう)に弟子入り。勝川春朗(かつかわ しゅんろう)という雅号で浮世絵界にデビューします。

勝川派の絵師として役者絵美人画といった浮世絵のほか、黄表紙(きびょうし。洒落や風刺をまじえた大人向けの絵本)の挿絵なども描き、多くの技法を習得。その旺盛な探求心・創作意欲は狩野派(かのうは)の絵や西洋画中国絵画にも及びます。

35歳のとき、勝川派を離れると雅号を「俵屋宗理(たわらや そうり)」と改め、摺物(すりもの)と呼ばれる色刷り版画を多く発表。

雅号はたびたび変わり、38歳で「北斎辰政(ときまさ)」、あの「飾北斎」を名乗るのは45歳なんですね。

誰もが知る「葛飾北斎」の名。しかし雅号はその後何度も変わり、生涯で30回も改号したんだとか。

45歳頃より、北斎は読本(よみほん)と呼ばれる小説の挿絵制作に精力的に取り組みます。

なかでも曲亭馬琴(きょくてい ばきん)が文章を、北斎が絵を描いて発表した「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」は大きな人気を呼び、馬琴・北斎ともに名声を高めました。

51歳、雅号を「戴斗(たいと)」に改める。

55歳北斎漫画の初編を発行。

61歳、雅号を「為一(いいつ)」に改める。

71歳富嶽三十六景の制作を開始。

83歳からは4度にわたり、信濃国高井郡小布施(しなののくに たかいぐん おぶせ。※現在の長野県小布施町)の豪商・井鴻山(たかい こうざん)を訪ねます。

弟子でもある鴻山の援助を得て、曹洞宗の寺・岩松院(がんしょういん)の21畳もある天井に極彩色の「八方睨み鳳凰図(はっぽうにらみ ほうおうず)」を、祭屋台の天井には「龍図(りゅうず)」「鳳凰図(ほうおうず)」を迫力満点に描いてみせます。

江戸時代の80代って言ったらもう、今なら90代かそれ以上ですわ。

車も電車もない時代。そんな高齢で、江戸と長野を歩いて何度も往復するとは、いったいどれほど元気なんだか。

だけど北斎だってやっぱり人間。1849年4月90歳で亡くなります。

なんと90歳! 現代なら100歳はゆうに超えてますよ。

さすが浮世絵の巨匠。世界をも魅了する偉大なアーティスト。

もともと体力が優れていたのと、絵を描くことへの常人離れしたエネルギーが長生きにつながったんじゃないでしょうか。

寿命をつかさどる神様に「こっちは画境を極めるのに忙しいんだ。くたばってる暇なんかねえ。お迎えをよこすのはあとにしてくんな」みたいなオーラを強烈に放っていたように思います。

(ちなみに北斎は「1760年」生まれですから、ここでいう「90歳」という年齢は数え年ですね。北斎の資料をあたると、どれも「90歳」と書かれています。昔ですから。)

■そもそも浮世絵って?

さて、北斎の作品を詳しく見ていく前に「浮世絵」とは何なのか確認しておきましょう。

〈浮世絵(うきよえ)〉

◆江戸時代に成立した絵画のジャンル。浮世(この世)に生きる庶民の暮らしのさまざまな面を描いた風俗画美人画役者絵芝居絵武者絵名所絵花鳥画春画など種類は多数。

◆浮世絵を確立したのは、「見返り美人」で有名な菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)であるといわれる。

◆初期の浮世絵は肉筆画と単色の木版画(墨摺絵=すみずりえ)だったが、のちに多色摺りの木版画(錦絵=にしきえ)が登場。

◆木版画の場合、①下絵を描く「絵師(えし)=浮世絵師)」→②木版を彫る「彫師(ほりし)」→③彩色して紙に摺る「摺師(すりし)」の分業体制で制作された。

◆肉筆浮世絵は一点ものであり高価だが、木版画の浮世絵は量産可能なため安価で、大衆の娯楽文化として発展する。人々はブロマイドやポスターのようにこれらを買い求め、楽しんだ。

版本(はんぽん。=版木に彫って印刷した書物)の挿絵としての浮世絵もある。

■「北斎漫画(ほくさいまんが)」

北斎は55歳のとき、絵を学ぶ人のための教本(絵手本)として「北斎漫画」の制作を開始します。

暮らしの中のさまざまな人の姿、老若男女、こっけいな顔、建物、自然、動物、鳥、昆虫から妖怪まで、あらゆるものを軽やかに描いています。

「楽しんでもらおう。自分も楽しんじゃおう」という北斎のサービス精神が伝わってくる、とても親しみやすいイラスト集です。

全15編、約4000図からなるこのシリーズは評判となり、北斎の死後、時代が明治に移ったあとも発売され、初編から65年間もつづく超ロングセラーになりました。

65年って……もし本人が生きていれば120歳。つまり死んだのち30年も発売されつづけたわけです。

うーむ、何という息の長さ。恐るべし北斎先生。

この「北斎漫画」、海外では「ホクサイ・スケッチ」と呼ばれています。

ヨーロッパでは1867年の〈パリ万国博覧会〉をきっかけに〃ジャポニズム〃(日本趣味)が起こり、日本の浮世絵は西洋のアーチストたちにさまざまな影響を与えました。

たとえばフランス印象派の画家、エドガー・ドガ(Edgar Degas/1834~1917)は踊り子たち、ピンクと緑」という作品で両手を腰に当てた踊り子を斜め後ろから描いていますが、このポーズとアングルは「ホクサイ・スケッチ」に出てくるお相撲さんにそっくり。北斎の絵を参考にしたのではないか、と考えられています。

なお北斎は「ホクサイ・スケッチ」の他、「略画早指南(りゃくがはやおしえ)」という絵の手引書も残しています。ここには定規コンパスの用い方なども載っていて興味深いですよ。

私の勉強不足なのかもしれませんが、江戸時代の画家が定規、コンパスを使うところなど考えたことがなかったので、新鮮な驚きでした。

■「冨嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」

出ました。最も有名なこのシリーズ。

ときに大きく、ときに小さく、さまざまな場所から富士山を描いています。

1830年、北斎71歳のころ、老舗版元の〈西村屋〉から「冨嶽三十六景」の出版がスタートしました。

中でも〃猛々しく盛り上がる巨大な青い波、襲いかかる無数の鋭い爪のような白い波頭、振り回される舟、しがみつく船頭たち、遠くに見える白い雪に染まった富士山〃を描いた「奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」は、誰もがすぐ思い浮かべる1枚ですね。

みなぎる迫力。大胆な構図と緻密な描写。印象的な色彩の対比。

まるで動画を見ているかのような動きがあり、観る者の目をぐっと惹きつけます

この作品、前述のように海外では「グレート・ウェー」と呼ばれ、世界的名画として知らない人はいないんだとか。

「神奈川沖浪裏」といえば、2024年より発行される新千円札の裏面デザインになりますね(表面は「北里柴三」)。

あともう始まりましたけど、今年2020年2月から、日本のパスポートの査証ページに「冨嶽三十六景」が印刷されています(10年用は24作品、5年用は16作品)。

何でしょう、この北斎ブーム。これでもかこれでもかという、お腹いっぱいな感じ。

北斎先生、ご覧になってます? 

ある意味、生きていらっしゃったころよりブレイクしてますよ。

なんたって、お金とパスポートですからねえ!

〈三大役物(さんだいやくもの)〉

「冨嶽三十六景」では、とくに優れた作品として、「神奈川沖浪裏」のほか次の2作品をあわせた3つを「三大役物」と呼んでいます。


凱風快晴(がいふうかいせい)」

通称〈赤富士〉。

「神奈川沖浪裏」が〃動〃なら、こちらは〃静〃。

白いいわし雲の浮かんだ青い空を背景に、赤い山肌の富士山が堂々と描かれています。

裾野に広がるのは緑の樹海。赤・青・白・緑が見事にマッチし、どれも落ち着いた色調なので、観ているととても穏やかな気持ちになれます。

タイトルの「凱風」は、「やわらかな南風」という意味。

伸びやかな絵にふさわしい名ですね。


山下白雨(さんかはくう)

通称〈黒富士〉。

画面の右寄りに山頂があり、構図は「凱風快晴」と似ています。

富士の上の方はやはり赤っぽいですが、中ほどから下は黒い雨雲に覆われ、刃物でえぐったような鋭いラインの稲妻が走っています。

平和でほっこりする「赤富士」に対して、雨・雷というちょっと危険なムードの「黒富士」。

陰と陽というか、緩急というか、コインの裏表というか。

この2作品の対比を楽しむのもいいですね。

北斎先生、「赤富士」を描いてたら急に天気が荒れてきて、「これはこれでいいじゃねえか。べらぼうめ。こっちの富士も描いてやらあ」と言ったとか言わなかったとか。

そんなことを想像してみたワタクシ……たぶん、違いますね。

ちなみに「冨嶽三十六景」のシリーズ中、富士山のみを描いたのは「凱風快晴」「山下白雨」の2作品だけです。


過去に多くの実績があり、人気絵師でもあった北斎ですが、「冨嶽三十六景」で爆発的にブレイクします。

この人気により、それまで美人画役者絵が主流だった浮世絵に、名所絵(風景画)が加わることになりました。

「冨嶽三十六景」シリーズはその名のとおり、当初36枚の予定でした。しかしあまりにも好評だったため、のちに10枚追加されます。

(この10枚は「裏富」と呼ばれます)。

ですから、「冨嶽三十六景」は全部で46枚あるんですね。

70代で全盛期を迎えた北斎。

世界が称える、一番の代表作を世に送り出したスーパースター、Hokusai。

1999年、アメリカの雑誌『if』が「この1000年で最も偉大な業績を残した100人」を発表しました。

この中に日本人でただ1人、葛飾北斎が選ばれています。

他にどんな人たちが入っているかというと、エジソンガリレオダ・ヴィンチライト兄弟アインシュタインピカソヘレン・ケラーウォルト・ディズニー……などなど。

当然ですが、ビッグネームがずらり。

そこに、われらが葛飾北斎師匠が堂々と仲間入りですよ。

わがジャパンから、この御仁だけ。過去から現在にいたるすべての日本人の中で、まさに〃唯一無二〃の存在。

北斎の知名度と、世界に与えたインパクトの大きさがわかります。

■三女・お栄、蝋人形のひみつ

北斎は2回結婚し、息子が2人、娘が3人(4人という説もあり)いました。

そのうち三女のお栄(えい)もまた、絵の才能がありました。

雅号は葛飾応為(かつしか おうい)。

お栄(応為)は一度嫁ぎますが、やがて離縁。実家に戻ると、父・北斎の画業を手伝うようになります。

美人画を得意とし、数は少ないものの、自身の作品も残しています。

その1つ、「吉原格子先之図(よしわら こうしさきのず)」は吉原の遊郭を描いた作品。

通りに面した部屋にずらりと並ぶ遊女たち。格子からそれを覗き見る街の人々。いくつもの提灯が放つ光と夜の闇。女性らしい、繊細で柔らかなタッチ。陰影表現が際立っていて、北斎とはまた違うタイプの作風です。

月下砧打美人図(げっか きぬたうち びじんず)」は、満月の下、砧(きぬた)を打つ(※しわを伸ばしたり柔らかくしたりするため、布を台に置き木槌でたたくこと)女性を生き生きと描いたもの。

夜桜美人図(よざくら びじんず)」には、夜、灯籠(とうろう)の明かりで和歌を詠む女流歌人がいます。落款(らっかん。=作者による署名、または雅号の押印)がありませんが、明暗のつけ方、女性や細部の描き方から、〃応為の作品でほぼ間違いなし〃と考えられています。


さて、北斎の弟子・露木為一(つゆき いいつ)が、北斎とお栄の様子を描いた「北斎仮宅之(ほくさい かりたくのず)」という絵があります。

畳の上で四つん這いになり、背中に布団をかけ、紙に筆を走らせる北斎と、それを傍らで見つめるお栄。

この絵を忠実に再現した蝋人形が〈すみだ北斎美術館〉にあります。

とてもリアルな北斎人形と、お栄人形

一度見たらなぜか目が離せなくなり、しばらくしたらスーッと動いたのでちょっと興奮しました。

機械仕掛けになっていて、20~30秒ごとに小さく動くんですね。

見てると楽しいですよ。

■「富嶽百景」あとがき、飽くなき意欲

「冨嶽三十六景」で46もの作品を世に送り出した北斎ですが、まだ物足りなかったらしく、74歳から「富嶽百景(ふがくひゃっけい)」を発表します。

3冊の版本(和綴じ本)に収められた、単色102図の富士。

「冨嶽三十六景」と異なり、「〇〇から見た富士」という場所のしばりがない分、より自由な発想で表現されています。

このシリーズの〈あとがき〉に、北斎のこんな言葉があります。

「私が70歳までに描いたものは取るに足らぬものだ。73歳になって生き物や草木のようすが少しわかってきた。80歳ならもっと上達し、90歳になると奥義をきわめ、100歳になれば神の域に達し、110歳ともなればどんな絵も生きているように見えるだろう」

北斎先生ときたら。70歳までの自分をバッサリ切り捨てちゃってますよ。「俺はつまらんものしか描いちゃいねえ」と。

何十年ものキャリアがあり、人気絵師のひとりであり、生涯で3万点を超す作品を残したとされる大御所なのに。

これって、正直な気持ちなんでしょうか。自慢のようにも、照れ隠しのようにもとれます。あるいはジョークなのかも。

いやいや。北斎はきっと、とてつもなく高いレベルの絵を目指していたんでしょう。常人には想像もつかない、究極の絵、至高の境地を。

だから他人にとっては素晴らしい作品も、本人にすれば全然納得いかない、となるわけです。

北斎は90歳でこの世を去りますが、もし110歳まで生きたとしたら、神の域に達したでしょうか?

それはわかりません。でも110歳で亡くなるその日まで、「もっと上手くなろう、もっと上手くなろう」と念じながら、せっせと筆を動かしていたと思います。

なんてったって江戸時代ですから。そんな超高齢になったら普通、目もよく見えないだろうし、体力も気力もつづきませんが。

エネルギーの塊みたいな北斎なら、110歳になっても絵を描いていたに違いありません。


以上、松鷹守でした。

私は「歳をとってから成功した人」「歳をとってから大きなことにチャレンジした人」、つまり「大器晩成」型の人物が大好きでして。

葛飾北斎もその中にいます。

もちろん、19歳でプロとなり、多くの実績を残してきた北斎は「大器晩成」の人とは違います。しかし、70歳を過ぎてから「冨嶽三十六景」でキャリアのピークを迎えたという点で、大器晩成型に似たものを感じるのです。

それにしても、90歳まで現役ってエライ。

いくつになっても衰えない情熱ってスゴイ。

私もあやかりたいものです。

では、〈ゆるやかな惑星〉でまたお会いしましょう!

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